シオニズム(ヘブライ語: Zionism)は、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動(ルネサンス)を興そうとするユダヤ人の近代的運動。後者の立場を「文化シオニズム」と呼ぶことがあるが、実際には様々な関係があると思われる。「シオン」(エルサレム市街の丘の名前)の地に帰るという意味である。
ユダヤ人への冤罪であるドレフュス事件を取材していたオーストリア人記者ヘルツルは、ユダヤ人自ら国家を建設し諸外国に承認させることを訴える。そして1897年バーゼルで第1回シオニスト会議を主宰。後にヘルツルは建国の父といわれる。1917年にイギリス外相が「パレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設とその支援」を約束したバルフォア宣言が出される。1947年に国連によるパレスチナ分割決議を経て、1948年にイスラエルが建国され、ユダヤ国家が誕生した。
普通に考えられ得ることだが、シオニズムの運動に全てのユダヤ人・ユダヤ教指導者が賛同したわけではなく、西欧社会で確固とした地位をえているユダヤ人(特にディアスポラの傾向を示す改革派など。「西方ユダヤ人」とも呼ばれる)の中には関心を寄せない者もいた。また、核心が政治的なもの、あるいは「民族的なもの」なのか(この場合、ユダヤ人を「民族」として定義する傾向が強まる)、宗教的なものなのか、様々な解釈の違いもある。
努力を尽くしたシオニズム運動の成果によって、世界中のユダヤ教徒の置かれていた異常な事態からは解放され、大きな宗教的、文化的、精神的、民衆的帰属先を持つことができ、ユダヤ人にとって、建国の形はどうであれ、これは何物にも変えがたい大きな喜びであった。
ヘブライ語の復興はシオニズム運動の大きな成果の一つといえる。イディッシュ語やドイツ語を公用語にしようとする計画もあったが、ホロコーストによってその望みは断たれた。
反シオニズム
アラブ・イスラエル紛争の最中の1975年の国連総会決議3379号はシオニズムを「人種主義の一形態で人種差別」であるとして非難した(なお、本決議は1991年に撤回されている)。
イスラエルの歴史の中で、何らかの大きな誤りがあれば、当然批判がされなければならない。しかしそこに、少しでも歴史否定・単純化、偏向・ステレオタイプ化、さらに無理解や破壊行為、中傷や誇張の要素が含まれているなら、もはやそれは反シオニズム・反イスラエル・反ユダヤ主義であり、歴史的な反ユダヤ主義とは何の区別もない。
また、シオニストは次のように主張する。様々なユダヤ教徒・ユダヤ系住民の主張が、反シオニズムの材料として使われる恐れもある(ナートーレー・カルターなどの非世俗シオニズム組織やディアスポラ主義者、改革派などの主張)。様々な無知・妄想・誤解・偏向した情報と知識がユダヤ人社会に悪影響を与えている。イスラエルへの知識、パレスチナへの知識、ユダヤ教やイスラム教、その歴史、ユダヤ教徒とイスラエルの地の歴史、シオニズム思想とその歴史、中東史、などへの知識の欠如、何より現実感の欠如が、様々な歪みと偏見をもたらしている。
また、シオニストは次のように主張する。反シオニストは、植民地論、人種差別論、ハザールアシュケナジ祖国論、「ユダヤ化」論(第三次中東戦争以降は、特にユダヤ・サマリア地区の入植地に対して)などを挙げ、このシオニズムを否定する。
また、シオニストは次のように主張する。反シオニストは「ユダヤ人」とはユダヤ教徒に過ぎない(だから権利を持たない)と言って、国家を構成する国民を否定する。日本の明治維新以前に既に始まっていた本格的なシオニズム運動の努力の成果により、様々な歴史の紆余曲折を経て、すでに建国された国家の合法性を否定し、破壊を工作し、殺人を犯して熱狂する者が、その人々(ユダヤ人)の敵でないと主張することは、大きな嘘の一つの例である。その上、反シオニストは、反シオニズムは反ユダヤ主義ではないという主張をする。
年表
ユダヤ人の歴史
シオニズムの歴史(年表)
イスラエル
イスラエルの歴史
イスラエル人の一覧
シオニズム指導者とアラブ民族指導者の言葉
「私はユダヤ教徒(ユダヤ人)であり、シオニストである。私にとってこの二つは切り離せない一つの拠り所である。またこれが、歴史的なユダヤ教の立場であるとも考えている」
(ラビ・エマニュエル・ラックマン Rabbi Emanuel Rackman)
「私達アラブ人、特に教育と知識のある者は、シオニズム運動に対して心から共感を覚え、見守っている。(中略)…私達アラブ人は、ユダヤ人帰還者を心から歓迎する。
我々は改革され、更に改善された中東社会を求め、共に働くつもりである。
二つの運動は、相補的であり、また民族的であり、帝国主義的なものとは無縁である。
シリアには二つの民族が共存できる余地がある。実際に、どちらか一方が存在しなければ、これは成功する運動ではない。
(中略)…私は、私の民族と全く同じように、我々が支持しあうようになろう将来を、楽しみに待っている」
(1919年3月3日、アミール・ファイサル・フサイニーからフェリックス・フランクファーターへ)
「我々は、ユダヤ人が、ロシア・ドイツ・オーストリア・スペイン・アメリカなど外国から、パレスチナの地にたどり着くのを見てきた。深い判断力を持っているものならば、ユダヤ人の権利に目を閉ざすことはできない。
我々は、あらゆる違っている点にもかかわらず、この土地が共に愛され、あがめられ、共通の祖国であり、同時に、この土地の本来の子らのものであることを知っている」
(ヨルダン・フセイン国王)
「誰も、シオニズムを敵としながら、一方で、今日のユダヤ人の友となることはありえない」
― "Crucifixion of the Jews" (「ユダヤ人の磔刑」、フランクリン・H・リッテル Franklin Hamlin Littell 著)[1]
「シオニズムを非難するとき、ユダヤ人を非難しているのだ」
(マーティン・ルーサー・キング牧師)
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