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2009年04月 アーカイブ

2009年04月02日

米(こめ、rice)

米(こめ、rice)は、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物。

玄米は、一般的にはイネの種子と理解されているが、生物学上は果実であり、胚芽・胚乳・果皮から成っている。

稲作信仰に起因し、日本の古神道や神道において、供物として使われる代表的なもので、御神酒(おみき)と御塩(おしお)と併用されることがおおく、その時には「御米(おこめ)」といわれ、地鎮祭や上棟式だけでなく、農林水産の職業の神事から、日本各地の祭りや神事の奉納される供物としても広く使用される。また八十八の行程を経て作られるまたは、八十八の日本の神が宿るので、米といわれるなどの説があり、八十八と書いて米と読むともいわれる。
ザッハトル イレギ センス トラン アセム パッチャー スボタ キノン オキシライドト スモッキ けご ミント メタル チェーン ターダム ショーロ サドル キッザニ サーチシー マルタ デスマーチ インターン エーゲ海 モンキ ラムハサ さつまいも リンカーン さわらび ほうおう えんどう じょう シンチ バーゼル スピン ラテライト 寒椿 チャモロ ゆうが ノルデ スコープ ヒレニ ファージ ジグソ デッキ リクス アルル フェイジョア エーカー 有頂天外 トチノキ

語彙・語義 [編集]
精製

穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼び、厚い外皮の籾殻を取り去ったものが玄米、玄米の表面を覆う糠層(ぬかそう。主として果皮と糊粉層)を取り去ることを精白(精米、搗精)という。糠層も胚芽も取り去った米を白米(精白米、精米)といい、糠を除去したものを精米や白米という。

収穫した稲穂から、種子(穎果)を取り離すことを脱穀(だっこく)という。脱穀によって取り離した種子を籾(もみ。籾米)といい、籾の外皮を籾殻(もみがら)という。籾から籾殻を取り去ることを籾摺り(もみすり)といい、この籾摺り過程を経たものを米という。

品種

品種の別では、粘り気が少ないものを粳米(うるちまい)、多いものを糯米(もちごめ)という。粘り気があり短いものを、短粒米(たんりゅうまい)やジャポニカ米といい、粘りがなく細長いものを長粒米(ちょうりゅうまい)やインディカ米という。

英語圏

欧米においては一般的に主食という概念が希薄であり、日本における「米」と「イネ(稲)」という区別が無い。そのため、例えば英語圏ではriceという同一の単語で扱われることに注意が要る。

調理

米は主に水分を加えて加熱調理し、調理するときに糠を砥ぎ落とすこと洗米という。米を炊いたものを飯という。飯の状態にした米の粒を「お米」と呼ぶこともある。広く主食用とされ飯にされるのは、粳米の白米であり、玄米や胚芽米の飯を主食とすることは、あまり多くない。糯米は、蒸して強飯(こわいい)としたり、餅として供される。

生産及び貿易状況 [編集]
年間生産量は6億1000万トンを超える(籾。以下いずれも農林水産省「海外統計情報」より、「FAOSTAT」の2005年統計[1])。 米は小麦(年間生産量約6億3000万トン)、トウモロコシ(年間生産量約6億9000万トン)とともに世界の三大穀物といわれる。 生産量は増加基調だが、在庫量は需要の伸びを背景に2000年をピークに減少している。在庫率は2006年には20%を割り込んだ[2]。

米の9割近くはアジア圏で生産され、消費される。最大の生産国は中国で、インド、ベトナムが続く。

米の貿易量は、増加傾向で推移している。最大の輸出国はタイで、ベトナム、インド、アメリカ合衆国が続く。上位四カ国で、世界の貿易量の7割を占める。 米は他の穀物に比べ、生産量に対して貿易量は少ない(生産量の約7%)。これは、米は基礎食料として国内で消費される傾向が強いため、生産量に占める貿易量の割合が低くなっているためである[2]。

国際取引指標は、タイ国貿易取引委員会 (BOT) の長粒種輸出価格。

日本は、政府がミニマム・アクセス枠の輸入を行っている。

利用 [編集]
米は、世界中で食用されている。利用例は、以下のとおり。

食材として
主食 - アジアやアフリカ[3]など。日本でも、飯として食べられている。
付け合わせの野菜 - 欧米では、野菜の一種として利用される
デザート - 欧米や東南アジアで、デザートとしても用いられる。利用例は、以下を参照。
原料として
酒や餅、飴、菓子、味噌、醤油、酢など(日本)
ライスヌードル、ビーフン、ライスペーパー(中国、ベトナム、タイなど)
その他
糊として用いられる(日本)
飼料としても用いられる。大豆やトウモロコシなど飼料として主に使用される他の作物に比べるとコストなどで見劣りしていたが、飼料用作物の価格高騰に伴い、米の飼料用需要が増加している

2009年04月17日

シオニズム

シオニズム(ヘブライ語: Zionism)は、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動(ルネサンス)を興そうとするユダヤ人の近代的運動。後者の立場を「文化シオニズム」と呼ぶことがあるが、実際には様々な関係があると思われる。「シオン」(エルサレム市街の丘の名前)の地に帰るという意味である。

ユダヤ人への冤罪であるドレフュス事件を取材していたオーストリア人記者ヘルツルは、ユダヤ人自ら国家を建設し諸外国に承認させることを訴える。そして1897年バーゼルで第1回シオニスト会議を主宰。後にヘルツルは建国の父といわれる。1917年にイギリス外相が「パレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設とその支援」を約束したバルフォア宣言が出される。1947年に国連によるパレスチナ分割決議を経て、1948年にイスラエルが建国され、ユダヤ国家が誕生した。

普通に考えられ得ることだが、シオニズムの運動に全てのユダヤ人・ユダヤ教指導者が賛同したわけではなく、西欧社会で確固とした地位をえているユダヤ人(特にディアスポラの傾向を示す改革派など。「西方ユダヤ人」とも呼ばれる)の中には関心を寄せない者もいた。また、核心が政治的なもの、あるいは「民族的なもの」なのか(この場合、ユダヤ人を「民族」として定義する傾向が強まる)、宗教的なものなのか、様々な解釈の違いもある。

努力を尽くしたシオニズム運動の成果によって、世界中のユダヤ教徒の置かれていた異常な事態からは解放され、大きな宗教的、文化的、精神的、民衆的帰属先を持つことができ、ユダヤ人にとって、建国の形はどうであれ、これは何物にも変えがたい大きな喜びであった。

ヘブライ語の復興はシオニズム運動の大きな成果の一つといえる。イディッシュ語やドイツ語を公用語にしようとする計画もあったが、ホロコーストによってその望みは断たれた。

反シオニズム
アラブ・イスラエル紛争の最中の1975年の国連総会決議3379号はシオニズムを「人種主義の一形態で人種差別」であるとして非難した(なお、本決議は1991年に撤回されている)。

イスラエルの歴史の中で、何らかの大きな誤りがあれば、当然批判がされなければならない。しかしそこに、少しでも歴史否定・単純化、偏向・ステレオタイプ化、さらに無理解や破壊行為、中傷や誇張の要素が含まれているなら、もはやそれは反シオニズム・反イスラエル・反ユダヤ主義であり、歴史的な反ユダヤ主義とは何の区別もない。

また、シオニストは次のように主張する。様々なユダヤ教徒・ユダヤ系住民の主張が、反シオニズムの材料として使われる恐れもある(ナートーレー・カルターなどの非世俗シオニズム組織やディアスポラ主義者、改革派などの主張)。様々な無知・妄想・誤解・偏向した情報と知識がユダヤ人社会に悪影響を与えている。イスラエルへの知識、パレスチナへの知識、ユダヤ教やイスラム教、その歴史、ユダヤ教徒とイスラエルの地の歴史、シオニズム思想とその歴史、中東史、などへの知識の欠如、何より現実感の欠如が、様々な歪みと偏見をもたらしている。

また、シオニストは次のように主張する。反シオニストは、植民地論、人種差別論、ハザールアシュケナジ祖国論、「ユダヤ化」論(第三次中東戦争以降は、特にユダヤ・サマリア地区の入植地に対して)などを挙げ、このシオニズムを否定する。

また、シオニストは次のように主張する。反シオニストは「ユダヤ人」とはユダヤ教徒に過ぎない(だから権利を持たない)と言って、国家を構成する国民を否定する。日本の明治維新以前に既に始まっていた本格的なシオニズム運動の努力の成果により、様々な歴史の紆余曲折を経て、すでに建国された国家の合法性を否定し、破壊を工作し、殺人を犯して熱狂する者が、その人々(ユダヤ人)の敵でないと主張することは、大きな嘘の一つの例である。その上、反シオニストは、反シオニズムは反ユダヤ主義ではないという主張をする。

年表
ユダヤ人の歴史
シオニズムの歴史(年表)
イスラエル
イスラエルの歴史
イスラエル人の一覧

シオニズム指導者とアラブ民族指導者の言葉
「私はユダヤ教徒(ユダヤ人)であり、シオニストである。私にとってこの二つは切り離せない一つの拠り所である。またこれが、歴史的なユダヤ教の立場であるとも考えている」
(ラビ・エマニュエル・ラックマン Rabbi Emanuel Rackman)
「私達アラブ人、特に教育と知識のある者は、シオニズム運動に対して心から共感を覚え、見守っている。(中略)…私達アラブ人は、ユダヤ人帰還者を心から歓迎する。
我々は改革され、更に改善された中東社会を求め、共に働くつもりである。
二つの運動は、相補的であり、また民族的であり、帝国主義的なものとは無縁である。
シリアには二つの民族が共存できる余地がある。実際に、どちらか一方が存在しなければ、これは成功する運動ではない。
(中略)…私は、私の民族と全く同じように、我々が支持しあうようになろう将来を、楽しみに待っている」
(1919年3月3日、アミール・ファイサル・フサイニーからフェリックス・フランクファーターへ)
「我々は、ユダヤ人が、ロシア・ドイツ・オーストリア・スペイン・アメリカなど外国から、パレスチナの地にたどり着くのを見てきた。深い判断力を持っているものならば、ユダヤ人の権利に目を閉ざすことはできない。
我々は、あらゆる違っている点にもかかわらず、この土地が共に愛され、あがめられ、共通の祖国であり、同時に、この土地の本来の子らのものであることを知っている」
(ヨルダン・フセイン国王)
「誰も、シオニズムを敵としながら、一方で、今日のユダヤ人の友となることはありえない」
― "Crucifixion of the Jews" (「ユダヤ人の磔刑」、フランクリン・H・リッテル Franklin Hamlin Littell 著)[1]
「シオニズムを非難するとき、ユダヤ人を非難しているのだ」
(マーティン・ルーサー・キング牧師)

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